明日はまたもや諸事情により資格試験があるので、その準備をしないといけないのですが多分今までで過去一番のやる気の無さ。マニュアル開く気も起きないので過去問調達してどうにかするつもり満々。明日は早起きしよう・・
まあそれは本題ではなくて、今日はタイトルのようなことをずっと考えてました。別に深い話でも役に立つ話でも何でもないので、つづきから。
好きなことは好きで、嫌いなことは嫌いです。当たり前の話というか、お前は何を言っているんだと言われかねないですがそれはさておいて、とにかくそういうものです。で、好きなことと嫌いなこと、どっちかをやれと言われたら、大体みんな好きなことをやると思うのです。好きなことは何回やっても苦にならないけど、嫌いなことはそもそもやりたくない、遠ざかりたい、と思うはずです。少なくとも私は。
ただまあ、好き嫌いだけがやるやらないの理由になることなんか実際は稀なお話です。義務教育やら勉強やら仕事やらは言うまでもないですが、自分はこうなりたいんだ!みたいなお話があればそれはそれで立派な理由です。そもそもその何かを始めるきっかけというのは、ほぼ間違いなく外的要因に拠るものでしょうし。まあ要するに、何かが好きか嫌いかという話と、それをやるやらない理由っていうのは必ずしも同じじゃないし、同じ方向を向く訳でもないってことです。
この「同じ方向を向く訳でもない」というのが肝で。
勉強なり研究なり仕事なり、何らかの外圧があれば好きなことも嫌いなこともある程度はできるようになります。ところがそういう外圧がないものについては、好き嫌いや自分の生まれ持ったものや経験っていうのがストレートに出ます。でもそれに向き合うのは往々にして自分だけなので、結構しんどいのですよね。強制されることっていうのは、強制されるが故に何らかの形でフォローは入る(はず)なのでまだマシなのですが。
そういう外圧のないものに対して何らかの形で前向きに消化するというか上手いことサイクルに乗せられたものは、「趣味」になるんだと勝手に考えてますが、ではそれに至らず途中で投げ出してしまったものが全てなかったことになるかというと、それが必ずしもそうでもない訳で、ある日突然やる気になったり燃えてきたりする訳です。私は「病気」と呼んでますが、これが厄介なのですよね。実に。
そういう病気をこじらせるものっていうのは、大体やる理由付けというのを否定しにくいんです。出来ればこういう風になりたい、こうなればどれだけ楽しいんだろう、とか。夢見るだけならタダですから。だからイメージだけが先行して手を動かしてみるのですが、当然ながらイメージについていける訳がないのでしばらくやってみてすぐに投げ出してしまう。それに、私見ですがこの手のことって本質的には嫌いであることが多いんでないかと思います。動機付けやら理由付けに覆い隠されて見えなくなっているけど、でもそもそも嫌いであるからそもそもやっていなかったことだし、長くは続かない。でも、その理由付けや動機付けを否定するまでには繋がらないので、定期的に再発してしまうと。
まあ最近は方法論の有無なんじゃないかなぁと思うのですが。定量的な評価のできない類のものだと結局方法論も人それぞれだし、目指す所の違いもあるし。とは言え、もう限界も見えているのでどうしたものかと。。。習うより慣れろって言葉に甘えて今があるからなあ。逆にプログラミングなんかはそういうやり方をして、ある程度はどうにかこうにかできているので、必ずしもそれが間違いって訳でもないんだろうけど。逆に、そういうことを考え出しただけで進歩があると言えなくもないかも。(レベルは低いけど・・)
なんでこれだけ執心するのか、理由は良く分からないんだよね未だに。最初考えていたことはあった気がするけどもう覚えていないし、それだけ執心なら何でもっと前に始めていなかったの?って思うし。昔はオタクというよりゲーマーだったからだとしてもねえ。結局、目的と手段が入れ替わっただけなのかな。
まあ、良い機会だから休み中にゆっくり考えてみることにします。