赤坂と梨花ちゃんがイチャつくお話(大嘘)でも問題編4つの中では一番初見殺し度が高い気がしてますです。


今読み返すと、いくつか尻尾出てる部分もあるのですが、当時の私がメタ的な話をあまり読んだことがなかったのも手伝い全然気付けなかったのです。。黒梨花ちゃんらしき人物のモノローグはちょこちょこ出てきたりしているのですが(祟殺し編でもちょっとあったかな?)誰かさっぱり分からず。梨花ちゃんの母親の日記?のTIPSは今から考えると大ヒントでしたね。繰り返しが退屈という観点は、この作品で得た貴重な教訓です(苦笑)あのモノローグの語り手が梨花ちゃんということが分かれば、最後のシーンみたく「オヤシロさまの祟りが予定調和の計画殺人だった!!」みたいなミスリーディングの誘いにも引っかからないでしょうねぇ。というかアレは全力で騙しに行ってるようなものです。。

ちなみに私は引っかからなかった・・つもりです。重要なのはやっぱり損得ですよ。あんなことをしても誰も得をしない。唯一こういうことを出来そうな体力のあるのは作中の描写だと園崎家一択ですが、本当にできるなら綿流しの日なんかにやらなくても良い訳ですよ。毎年祟りが起これば、確かに作中でも言及された通り人が消えたり殺されたりするのが起こっても不思議に感じられなくなるかも知れませんが、逆に他からのマークや好奇の目も強くなるからどう考えても得策ではない。魅音とか見てても、そのへんの損得勘定はちゃんとやるだろうなぁと思ってました。

そうなると、損得じゃなくてオヤシロ信仰を復活させようとかそういう方向にも行かないと説明が付かないのですが、色々な話を見ていると彼らはオヤシロ信仰とは縁遠い場所にいるように見えてならなかったんですよね。大体えらく魅音も詩音もえらく俗っぽいし、鬼婆からも全然オヤシロさまに対する狂信ってのは感じませんでした。で、このお話の時点での綿流しのお祭り(ただの町内会の飲み会)の描写を見て、その仮説が裏付けられました。本来はオヤシロさまに縁のある由緒あるお祭りなのに、こういう祭りとは言えないような祭りになっていて、でも御三家はそれを容認している。つまり、オヤシロさま信仰に対して別段の強いこだわりがないことを示しているんじゃないかと。もちろん雛見沢に生きる以上否定はしていなかったと思いますが、利用できるモノは利用する、程度のスタンスに見えたんですよね。ダム闘争で事務所を神社に設置した理由だって、同じような理由と作中で言及されてましたし。逆にこの状況は、オヤシロさまに対する狂信者が祟りを起こす動機にはなり得るかもしれませんが、他にそんな力を持った組織はいません。もしいたとしたら、ミステリの原則上そんなのはただの騙し討ちです。

だから、俗にオヤシロさまの祟りと呼ばれるものに園崎家が噛んでいたものもひょっとしたらあるかもしれなくて、でも毎年起こっていたのはきっと偶然なのだろうなと思ってました。1人が死亡1人が失踪って言われてましたけど、実際は毎年シチュエーションも違えば本当にそうか怪しいものもある。もし狂信者的な性格の人間が裏で糸を引いていたなら、こんな解釈次第でどうとでもなるようにはならないはずですし、それ以上に相手を選ぶ必要もない。作中では巧妙にミスリーディングが誘われていますが、ダム闘争とオヤシロさま信仰は完全な別物ですから。


そんな訳で、次からはもう回答編な訳ですが、既に皆殺し編の佳境まで読み進めてしまったので他2編についてまともなコメントが書けるか不安になってきました。。